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濱野皮革工藝のバッグ工場を見学!ふるさと納税で大人気の秘密とは?!

やまゆり公園の隣にある、濱野皮革工藝(はまのひかくこうげい)。門の前を通りかかったことがあるという人も多いのではないでしょうか。
その敷地内に、御代田町のふるさと納税の返礼品で常に売り上げ上位に君臨するバッグが作られている工場があります。

1880年創業。2022年で142周年という歴史を持ち、日本の皇室をはじめ世界のロイヤルファミリーにも愛用いただいているバッグブランド、それがHAMANO。

濱野HPより。上皇后美智子さまから皇后雅子さまに受け継がれたロイヤルモデルのハンドバッグ

濱野皮革工藝のバッグ。噂には聞いていましたが、素敵なハンドバッグに似合う服なんて持っていないノーブルさゼロの筆者に、果たしてその価値が分かるのか……。少し気後れしつつも、今回工場見学に伺いました。
HAMANOのバッグ作りの裏側は? 込められた思いは? 人気の理由は? そのあたりをぜひ探ってみたいと思います!

濱野皮革工藝の魅力、教えてください!

お話を伺ったのはこちらのお三方。普段は東京の本社にいらっしゃる社長の杉本さん(左)、移住2年目で製造前の材料の手配や工場のライン管理、修理窓口等を担当している中村さん(中央)、設計から縫製、納品までバッグ作りのすべてを行えるこの道35年のベテラン土屋さん。皆からよしゆきさんと呼ばれている(右) 


ーー先ほど工場の中でバッグの製作過程を一通り見せていただいて、純粋にとても面白かったです。特に型紙や原皮なんてなかなか見る機会ないですもの。

最初に見せていただいたのは設計室。棚には、これまで起こしたデザインや型紙が全て大切に保管されていた。工程としては、デザイナーのスケッチを見ながら一度模型を作り、模型がOKなら型紙を起こす(シンプルなロイヤルモデルのバッグでも50以上のパーツで構成されているそう!)。型紙から試作を行った上で、OKなら生産に入る。
次に革の保管庫へ。半裁(はんさい)と呼ぶ、背骨部分から半分に切った牛革を見せていただいた。半分なのにとても大きい!

(中村さん)
革は、高品質なものを厳選して仕入れ、さらに良い部分だけを使っています。特に牛のお腹側の革は柔らかく、製品が安定しないのでバッグには使いません。クラフトが趣味の方などに残革(ざんかく)として販売していますが、出せば即売り切れてしまうほどの人気です。

(土屋さん)
御代田は夏でも涼しく湿度もちょうどよいので、革を扱うのに適した気候です。それでも保管庫の室温は、28度から5度と季節によって変わります。それを機械などで一定に管理しないのは、幅のある気温で慣れさせて、お客様の手元に届いたときに気温の変化で歪みが出てしまわないようにするためです。

工場に流れる教え学び合う文化

ーー見学させていただいて、工場というより、工房とかアトリエといった感じがしました。てっきり大人数でだーっと流れ作業しているのかと想像していたんですけど。
そして皆さんの技術力と真剣な眼差し、出来上がっていくバッグの美しさに「ものづくりって…すごい…」と圧倒されてしまいました。

(土屋さん)
血筋の跡やバラ傷(動物が本来持っていた傷や虫刺されなど)があるのは、天然素材である証です。それを一枚一枚革の表情を見ながら、切り取る場所を見定めます。
修行を積むと「見えないシワ」が見えるようになってくる。見えないシワとは、バックになった後で出てくるシワです。今日やっていた彼はもう見えているし、革と対話しながら切っています。

型紙に合わせて革を裁断する。革の上に抜き型を乗せてプレスし、1枚1枚部材を裁っていきます。写真の彼は21歳、3年目。バッグ作りの工程を全部できるようになるには10年はかかるそうですが、彼もそれを目指し1つ1つを極めています。

ーー先ほどご案内いただく中でおっしゃっていた「教え学び合う文化」って、どういうことですか?

(土屋さん)
今の濱野には教えたい人も、学びたい人も、いっぱいいます。私は18歳から35年以上働いてきましたが、昔はちゃんと教えてもらえませんでした。時代的にも、ものさしでビシバシとやられながら、先輩を見て盗むようにして覚えていきました。今はしっかりと教え合い、学び合うことが文化になっています。

(中村さん)
私もラインを担当する者として、バッグ作りの技術も学んでいます。いずれ全部一人で作れるようになりたいと頑張っていますが、よしゆきさん(土屋さんのこと)、ある程度うまくなった人にはあまり教えないですよね。

(土屋さん)
職人としてある程度レベルアップしたらそれこそ、答えのない領域。人から教えられると本人の感性が狭まってしまいます。なのでどうやったら理想のものができるのか、自分なりに考えながらやってほしいです。言われた通りにやっていたら、「作る人」にはなれるけど、「職人」にはなれないから。

(杉本社長)
職人こそが濱野の宝です。そしてラインをスムーズに動かすことは濱野の命綱。ですので職人はみんな、設計から納品まで全ての工程が1人でできるようになるために、よしゆきさんに少しずつ教えてもらっています。

ーー職人全員が全ての工程をできちゃったら、最強じゃないですか。でもそれ、普通は目指さないですよね。切る専門、縫う専門って決めますよね。

(杉本社長)
そう。分業の方が絶対効率がいいです。でも濱野は大量生産ではないから、人を部品扱いしたくない。一人ひとりがプライドと技術を持って、ものづくりをしています。例えば技術を高め切った2人の職人がいたら、AさんとBさんの作るものが違っていても良いと思います。将来的には職人の指名が入るくらいでもいいと。

母から娘へ受け継がれるバッグ

ーーまさにクラフトマンシップ、職人魂…。真剣に作られたものだからこそ、その価値が分かる人に愛されているのですね。

(中村さん)
私は修理の窓口をしていますが、親族からいただいた品や、おばあさんの形見の品を依頼される方も多いです。「修理代の方が高くなりますよ」と買い替えをおすすめしても、やはり直したいと言われます。受け継がれる価値を感じてくださっているんですね。

(杉本社長)
白のロイヤルモデルはかつて美智子さまにお贈りしたものですが、雅子さまへ受け継がれました。避暑地か公務のお見送りの時に雅子さまが持っていらしたのをニュースで拝見しました。
秋篠宮紀子さまのご婚約、紀子さま・佳子さまのご入学のときは、百貨店の外商からリクエストをいただき、献上しました。

ーーふるさと納税の返礼品としても人気ですよね。

(杉本社長)
おかげさまでたくさんご注文いただいています。購入してくださった方からは、とても軽いと言っていただけることが多くて、肩が痛くないとか、体にフィットするとか、そういった使い心地からリピートしてくださる方も多いです。

伝統と革新の140年

濱野の歴史についても伺いました。
明治から140年の歴史を持つ濱野皮革工藝。もともとは刀のつばや馬具を作っていた革の加工会社でしたが、創業者が海外の見聞から「日本の女性にもハンドバックを!」と製作を始めました。当時はまだ、多くの庶民は着物を着て風呂敷包みを持っていた時代でした。

1967年、気温湿度ともにバッグ作りに適した御代田に工場を開設する際、三代目の濱野敬之氏は、職人として地域に住む素人の若者、特に若い女性を集めました。日本の女性たちが持ちやすいバッグを一緒に作りたい。そして、使う側の気持ちに立ち、手間をかけられる職人を育成したいと。「手でつくるな。ハートでつくれ」が彼の口癖だったそうです。

また敬之氏は乗馬がとても上手で、ハワイのポロトーナメントに出場した後、皇室のポロ競技のご指南役を拝命されました。このことによって、国内外のセレブリティとの交流が始まりました。そして後にHAMANOは、日本の皇室から海外の国賓に贈られるほどの格式あるハンドバッグブランドとなったのです。

敷地内にある別棟の資料室には、創業当時からの製品や試作品、世界各国から集められた参考商品が所狭しと並んでいました。
戦時中、動物の革が手に入らなくなったため、苦肉の策で作成した竹のハンドバッグ。どんなときも女性におしゃれ心を、という不屈の精神に胸熱くなりました。

伝統、そして革新。高い品質を守りながらも、挑戦し続けている濱野皮革工藝。140年続く、ものをつくる人の好奇心と探究心を感じます。

大量消費の時代から価値観の揺り戻しが来ている?

ーー私はコンビニや100均が台頭した、いわば大量消費文化の全盛時代の東京で育ってきました。安かろう悪かろう、壊れたら捨てればいいやというカルチャーで。しかしそれがここ数年、少し違うなとか、疲れたなと感じてきていて…。
私だけでなく、今、本当にいいものを大事に使い続けていくことの価値が、多くの人に見直されてきていますよね。でも濱野さんは、時代の流れに左右されず、昔からホンモノ一筋でやってこられた。

(杉本社長)
国内で革製品を自社工場で作っている会社って、片手で数えるほどだと思います。たくさん作ろうと思ったら下請け工場を使わないと維持できないし、安くしようと思ったら海外にはかなわない。

革だってもっと、たくさん重ねちゃって型をバンバン抜けばいいんです。うちみたいに一枚一枚革の状態を見ながら、革と話しながら抜く必要ないんです。ベルトコンベアみたいにがんがん流して。それが大量生産です。薄くしたい部分は、漉かないでプレスしちゃう。でもそれだとバッグが重くなります。

(土屋さん)
重なる部分の革を削り取って厚さを調節する「漉き(すき)」の作業は、すごく難しいですよ。一個体ごとに厚みが違う天然革を漉くには、「革を見る力」が必要です。まず「見る」ができて、それに合わせた的確な作業ができるのが職人です。

(杉本社長)
濱野は、本当に良いものを作ってお客様にお届けしたいと、働く人全員が同じ気持ちでいてくれるのですごく幸せです。厳しいことを言わなくてはいけないこともあるけど、それも理解してくれる。喧々諤々、前向きなものづくりの議論で闘っています。もっとこうしよう、いやもっとこう、と。 

持ち手やポケットになる細かなパーツを作っていく人、美しいバッグに縫い上げる人。ハンダごてを使って糸を切る人、ひっくり返して形を整える人。

職人さんたちからは、凛とした雰囲気が感じられました。「黙々と・淡々と」という感じではなくて、静かに燃える炎を感じるというか。楽しそうにすら見えるのが不思議でした。

それはきっと、1点1点一発勝負であるバッグづくりにおいて、失敗を恐れない度胸でもあるし、ブランドの品質を技術力で保っている誇りでもある。お客様への愛情でもある。そしてなにより「ものづくりが好き」な人たちの集まりなのだと思いました。

結論:ファンになってしまいました。

何も知らないで「HAMANOのバッグなんて、私には無理無理」と恐れ入っていた筆者でしたが、工場を出る頃には、展示されていた商品ラインナップに目が釘付けに。

「フォーマルな正統派バッグのイメージがあったけど、カジュアルなものも、カラフルなものもあるんだ。わあ、これも、これも素敵……」。

そして気付きました。いいバッグを持てば、それに合わせて服も靴も変わる。素敵なものを身につければ所作も変わる。つまりバッグは女性を美しくしてくれるのだと。

「思い切って、一生ものだと思って自分へのご褒美に買うのもいいし、これまでの感謝を込めて母に贈るのもいいし…」。帰り道、本気で検討している自分がいてびっくり。すっかりHAMANOファンになってしまっていました。

御代田町が全国に誇る、いや世界に誇るホンモノのバッグ。みなさんも、ご自分にor大切な方への贈り物に、一度チェックしてみてはいかがでしょうか。

以上、工場見学レポートを終わります。

濱野の皆さん、本当にありがとうございました!


[取材構成編集・文] 本間美和